高野山に関わった歴史上の人物とは

奥の院

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弘法大師が入定している奥の院には、おおよそ20万基を超える諸大名たちの墓石が経っています。
それも、織田信長、伊達政宗、明智光秀、武田信玄といった聞いた事のある有名な方々ばかり。 このように沢山の大名が高野山に骨を埋めたのには、ちゃんとした理由があります。

それは、単純に弘法大師に憧れを持つ人が多かったこと。
弘法大師は今もなお御廟で瞑想していると言われており、これを『大師信仰』と呼ぶのですが、戦国時代ではこの信仰がかなり広まっていたのです。
その結果、『高野山で眠れば極楽浄土に行ける』という考えが浸透し、宗派問わず高野山にお墓を建てる人が増え続け、いつしか『天下の総菩提所』とまで言われるようになりました。

そして、この流れを決定づけたのが戦国の三傑が一人、徳川家康公が高野山を徳川家の菩提所と定めたこと。
これにより、江戸時代初期に有名な諸大名がこぞって墓石や五輪塔を建て始めたのです。

因みに、少し変わったお墓として『明智光秀の供養塔』が挙げられます。
なんとこの供養塔、縦にヒビが入っているのです。
それだけ聞くと単に割れただけではと思いますが、なんと噂では修復しても必ずヒビ割れしてしまうとのこと。
一説には織田信長の呪いではないかと言われています。