古くから行われる高野山での行事

正御影供(しょうみえく)

3月21日はお大師さまが御入定(ごにゅうじょう)された日です。

高野山では、毎年新暦と旧暦の3月21日に『御影供』と称し、全山住職をあげてお大師さまに報恩を捧げます。この日にはお大師さまの身代わりとして1年間にわたり高野山の重要な法会の御導師をお勤めになる「法印御房」が御出仕なされ、信者の方も大勢参列し非常に華やかな法会となります。

御影供はお大師さまが御入定されて76年目の延喜10年(910年)3月21日、京都東寺(とうじ)にあります「潅頂院(かんぢょういん)」というお堂にて、当時の長者(つまり一番偉い方)観賢僧正(かんげんそうじょう)がお始めになられたといわれ、高野山ではそれより遅れて久安4年(1148年)3月21日に金剛・胎蔵の両秘法を修法して報恩を捧げたことが伝えられています。現在では御衣(ぎょい)のお寺として有名な寶龜院(ほうきいん)様より、金剛峯寺へ従者と共に唐櫃にて「御衣」を奉持します。

金剛峯寺では本山の重役を初め、執行代(しぎょうだい)と呼ばれる方がおまちうけします。金剛峯寺に運ばれた「御衣」は一端持仏間(じぶつ=お寺の先住様のご位牌や仏様をおまつりしている部屋)の前の浄薦の上に蓋を開けて置かれ、御法楽(仏様にお経を読んで捧げる)をします。続いて先の執行代様が目録と中身を照らし合わせて確 認し、すぐに寶龜院様と先の従者と共に奥之院へ向かいます。奥之院に着けば燈籠堂正面に唐櫃を安置し、ただちに執行代様がご供養のために一座の修法をされます。

さらに9時から引き続いて本番の「正御影供」を執行し、懇ろに供養された唐櫃の中の「御衣」は再び従者と共に今度は御影堂へ向かいます。そうして御影堂に着いた「御衣」は御影堂の内々陣(お堂の一番奥のところ)に安置され、1年間にわたり供養が続けられます。この御衣は来年の法印御房がおめしになります。